校章・校歌・生徒会旗・校訓の由来

校章

  武蔵野の自然と府中の歴史を象徴する「けやき」の葉を五中の五にちなんで5枚並べて、その中央に五中の文字を図案化して配置したものです。この校章を決めるには、当時の生徒と保護者から図案を募集し、130枚集まった中から構成して一つの図案にまとめたそうです。この校章は、開校の年の昭和37年5月28日に制定されました。

校歌

校歌(H29)

  開校当時の生徒や保護者のみでなく、住民の方の気持ちをできるだけ取り入れたいとの意向で、広く公募(公に募集)して、集まった7名の応募作品を圧縮し、本校の校訓や教育目標の内容を全部含めて一つの曲にまとめたものです。第1節は東京都、第2節は府中市、第3節は府中五中をほめたたえる気持ちがこめられていて、真実を求めることによって、自主の心を養い、自己発見に向かって努力していこうという願いがこめられています。校歌は、開校の翌年の昭和38年12月19日に校旗(学校の旗)とともに制定されました。

生徒会旗

  毎朝、生徒会役員の人によって掲揚され、屋上にひるがえっている生徒会旗は、多数の生徒の応募作品の中から第3期生の橋本洋一(はしもと よういち)さんのものが選ばれ図案化されました。校章に腕を組み合った若者たちの強い団結心を組み合わせた図案となっています。毎日、生徒会旗をあげる習慣は、第1期生の生徒会役員の人が3年生の時の7月にはじめて屋上に揚げたもので、以来、五中の伝統となり、校風となって今につながっています。初代校長であった林校長先生は、「生徒会旗には、校訓「自己発見」に向けて、生徒同士が力を合わせて進もうという自主の精神がこめられており、生徒会旗が生徒の手によって自主的に掲げられていることが続くかぎり、前途には向上発展の道が限りなく開けるだろう。」と述べられています。

「自己発見」の碑

  東門の右側に建てられている「自己発見」の文字が刻まれている石の碑は、五中の創立20周年である昭和57年3月13日に建てられたものです。その字は、広田亭蔵(ひろた ていぞう)先生の書で、創立5周年の記念事業の時に体育館に掲げられた額の字を模写して彫られたものです。従って、体育館に掲げられている額は、40年間、五中の教育活動とともにあったことになります。